【人間の公平と不公平】
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宇宙間に存在する数限りない一切の物事は、すべて自然という法則にのっとり営まれています。
その中には、すべての生命もふくまれています。
そして、自然はすべての人に対し平等であり、決して不公平なものではありません。
でも、ひとたび気圧や気候が乱れれば、太陽の強い日差しに照りつけられ続け、ダムが干からびて多くの人の健康や生活を脅かしてしまう地域が出てしまいます。
はたまた、強い雨風で収穫間際の農作物が全滅してしまったり、看板や瓦などの危険物が人々を襲ったりもします。
交通機関にも影響を及ぼします。家に帰れない人々、仕事先に行けない人々が動かない新幹線の中で困っている姿や空港で情報を追い求めて右往左往する様子がニュースで放送されていたりします。
また、台風に襲われれば、家に浸水したり、時には家が流されたりもします。
それなのに、ほんの少し離れていたために被害を免れたり、少しの時間の差で動いている新幹線に乗れたりと、日々のそういった自然災害でも被害に遭う人、遭わない人と、すごく不平等が生まれているように感じます。
ですが、自然の中で起こる災害は、決して、太陽そのもの、水そのものに意思があってそこを狙っているわけではありません。
その時、その場所に居合わせた人ならば、誰しもが被害に遭ってしまうのです。
ということは、その災厄を免れるか免れないかは、すべては受ける側の方の問題なのです。
そして、もう一つ言えるのは、数々の自然がもたらす事象の被害に遭ったとしても、決して神様のバチが当たったわけでもないし、決して、私たちに与えられた試練でもないことを申し上げます。
雨風や台風の経路、規模、強さや通過時間も長い歳月の中で、技術の進歩により正確性の高い情報が収集されるようになりました。地震の予知についても、同様です。
昭和44年、アポロ11号が月面着陸した時には「長い時間、人類が夢見てきた月への到着」とニュースで大騒ぎになっていました。でも、今は「月にたどり着く」どころではなく、宇宙旅行まで夢は大きく広がっています。
これらの内容に共通しているものは、情報、統計、データという莫大な数字(数値)がすべてに存在しているということです。
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私たちは、日常の生活いたるところで、どのような場面でも多くの数字に深く関わって生きています。
そして、「幸福に恵まれる人」「不運に見舞われる人」これも実は、それぞれの人の中に秘められた多くの数字の存在が影響をしているのです。
人は、この世に誕生した年月日と、万人の中で自分と周囲を識別する名前が個々につけられています。
その姓名と生年月日の組み合わせの中に数字化された多くの情報が眠っているのです。
その多くのデータの数字をつき止め、文字化して背負っている運命を明らかにて生きやすくしていこうというものです。
各それぞれが、どういう人物であるか、性格、金運、家庭運、外交、相続運、人間関係の相性や、一生持ち続ける性質など、そして…どのような運命を辿るのか、また、どのように人生が変化していくのか。
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では、果たして人間が作った姓名がそこまで意味を持ち、人生に影響を与える力があるのでしょうか?
そう問われてしまうと、人間が作った文字の組み合わせの姓名が運命を支配するとは「どうなんだろう?」という疑問もわきます。
もし、文字ができ立てで使われ始めならそうかもしれません。
ですが、ここが考えどころです。
文字とは使い始められて以来、幾千年という長い歳月の中で人間の思念を明示してきました。そしてその思念が込められた文字を長きに渡り活用してきた事によって文字の中にそれぞれの意味の言霊が宿られたのです。
そして、それは文字の画数の霊力をもって人々の精神上、肉体上に運命の吉凶、禍福を招来するものになりました。
人々は、その意味を持ち言霊が宿った文字を姓名に用いることで、自然の数の法則により影響を受けるものとなったのです。
霊力を持った文字を数字化し、データを読み取ることで、人生の秘められた運命の行方、変化を導き出す。これがYすうてつ[の原理であると考えます。
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